東京地方裁判所 昭和52年(ワ)6763号 判決 1978年10月16日
原告 佐藤秀夫
被告 高木光士
主文
一 被告は、原告に対し、金四七七万五〇〇〇円及びこれに対する昭和四八年一一月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文第一、二項と同旨の判決及び仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、東京都知事の免許を受けて、朝日開発の屋号で宅地建物取引業を営む者であり、原告は、昭和四八年一一月二八日、被告から、別紙物件目録記載(一)ないし(三)の土地(以下「本件各土地」又は、「本件土地(一)ないし(三)」という)を代金四七七万五〇〇〇円で買受け、同日右代金の支払を了した。
2 しかしながら、原告の右買受の意思表示は、次のとおり、被告の詐欺によりしたものである。すなわち、
(一) 原告は、本件各土地を別荘用地として買受けたものであり、本件売買契約締結当時、本件土地(三)の地目が畑で同土地を宅地に転用し、同土地上に別荘を建築するには農地法による制限のあることは予知していたが、右各土地に関し、右の制限以外には、建築基準法による一般的な制限を除き、他の法令による制限のあることは知らず、かような制限はないものと信じていた。
(二) ところが、本件各土地を含む静岡県賀茂郡南伊豆町伊浜字中之瀬地区は、本件売買契約の締結された当時、自然公園法第一〇条、第一七条第一項による富士箱根伊豆国立公園の特別地域に、文化財保護法第六九条第一項による名勝に、それぞれ指定されていたものであり、原告は、右事実を本件売買契約を締結したのち三か月ほど経つた昭和四九年二月に至り、初めて知つた。
自然公園法第一七条第三項、第三八条、同法施行令第二五条第一号によると、国立公園の特別地域内において一定の工作物を新築、改築又は増築等をするには環境庁長官又は都道府県知事の許可が必要であるとされ、本件売買契約締結当時に行われていた昭和四〇年五月二八日付厚生省国立公園局長通達(国発第三九一号。以下「本件旧通達」という)による取扱方針では、右特別地域内における工作物の新築等はほとんど許可されない実情であり、なお、本件各土地は、現在、国立公園特別地域の第一種のそれに区分されているところ、右旧通達を昭和五〇年四月一日限りで廃止した昭和四九年一一月二〇日付環境庁自然保護局長通達(環自企第五七〇号、以下「本件新通達」という)によれば、第一種特別地域内における工作物の新築等は、その態様、目的のいかんにかかわらず、原則として許可されないことが明定されている。
(三) しかるところ、被告は、宅地建物取引業法第三五条により、同法第二条所定の宅地にあたる本件各土地の買主である原告に対し、本件売買契約の成立に至るまでの間に、取引主任者をして、前記自然公園法ないし文化財保護法による制限の概要等の一定の重要事項を書面で説明しなければならないとされているのにこれをしなかつたばかりでなく、本件売買契約を締結する際、原告の本件各土地買受の目的が別荘用地に使用することであり、かつ、原告において前記自然公園法及び文化財保護法による制限を知らず、同土地上に容易に別荘を建築することができるものと誤信しているのを知りながら、このような場合、宅地建物取引業者たる売主としては、信義則上、右制限の存する事実を告知する法律上の義務があるのにこれを告げず、沈黙したままに終始し、そのため、これにより、原告は、前記のとおりに誤信した状態で本件買受の意思表示をするのを余儀なくされた。
原告は、本件各土地について、前記自然公園法及び文化財保護法による制限の存在することを予め知つていたならば、右各土地を買受ける意思はなかつたものであり、かくして、右に述べた経緯でした原告の本件買受の意思表示は、被告に欺罔された結果によりしたものというべきである。
3 そこで、原告は、被告に対し、昭和四九年三月六日被告代理人到達の内容証明郵便で本件買受の意思表示を取消す旨の意思表示をした。
4 よつて、原告は、被告に対し、不当利得による返還請求として、前記1の売買代金四七七万五〇〇〇円及び原告が右金員を交付した日の翌日である昭和四八年一一月二九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による利息金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2のうち、本件各土地の地目が原告主張のとおりで、国立公園の特別地域の指定を受けていること、被告が本件売買契約の締結に至るまでに宅地建物取引業法第三五条に基づく物件説明書を原告に交付しなかつたこと及び原告主張の法令、通達の存在は認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。
被告は、本件各土地を、別荘用地ではなく、単なるボート置場として売渡したにすぎない。仮に、原告がボート置場にあわせて管理小屋を建築する意思であつたとしても、建物の建築面順の敷地面積に対する割合が二〇パーセント以内であれば、特別の事情のない限り、工作物の新築も許可されている事情であるから、それを建築することができるはずである。
また、被告は、昭和四八年一一月中旬及び同月二八日、二回にわたり、原告及びその家族を現地に案内した際、本件各土地が国立公園の特別地域内にあつて、建築については一定の制限が加えられていることを原告に説明しているもので、原告はそれを承知で同土地を買受けたものである。
3 同3の事実は認める。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、本件売買契約における買受の意思表示は被告の詐欺によりしたものである旨の原告の主張(請求原因2)について判断する。
成立に争いのない甲第一号証、第三、四号証、第五号証の一ないし三、第九、一〇号証、第一三号証の一ないし三、第一五、一六号証、乙第一号証の一、同証の二ないし四(いずれも、原本の存在も争いがない。)、原告、被告(ただし、後記措信しない部分を除く)各本人尋問の結果及びこれらと弁論の全趣旨により原告主張どおりの写真であると認められる甲第一二号証、第一七号証、静岡県生活環境部自然保護課及び同県教育委員会に対する各調査嘱託の結果を総合すると、次の事実を認めることができ、被告の供述中、この認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信し難く、他にこの認定をくつがえすに足りる証拠はない。すなわち、
1 原告は、肩書住居に居住し、川崎市内にある建設会社の庶務係として働いている者であるが、母親のかくが喘息のため、かねてより、気候温暖で、空気の清浄な静岡県伊豆半島方面に手頃な別荘を所有したいとの意向を持ち、実弟の佐藤小一郎にもその旨を話していた。
一方、被告は、昭和四七年二月から朝日開発等の屋号で不動産取引等の営業を営み、昭和四八年一一月当時は、南及び西伊豆地方における別荘地の分譲販売等をしていた。
2 原告は、同月ころ、被告の出した新聞広告をみた佐藤小一郎からの連絡で被告が伊豆地方の別荘を売出していることを知り、被告に対し、電話でその問合せをし、その結果、同月初旬、名刺及び宣伝用パンフレツトを持参した被告の来訪を受け、同日の話合いにより、被告から現地案内をしてもらうことになつた。
3 原告は、同月一四日、母親を伴つて下田駅に行き、被告から本件各土地の案内を受けた。本件各土地は南伊豆地方の駿河湾寄りで、海に近接しており、その立地は原告の希望に概ね副うものであつたが、当時の右土地周辺は、同土地の北方、比較的近距離の静岡県賀茂郡南伊豆町伊浜中之瀬四一二番二の地上に鈴木正吾所有の建坪数坪程度の木造建物一棟があつたものの、他に人家は見当らない状況であつた。
そして原告は、その際、被告から本件土地(三)の地目が畑であることを説明され、同土地を宅地に転用するには農地法による一定の手続を履践する必要があることを了知したものであり、また、被告の言によれば、前記鈴木正吾所有の建物は同人の別荘であるとのことであつたので、本件各土地についての質問としては、本件各土地のうち最も平担な本件土地(三)上に別荘を建築するときには、道路より少し下つた場所になるので、昇降用の階段をどうして造つたらよいかを被告に尋ね、被告からは数人が共同して造るとよい旨の返事を受けたことがあつた程度で、その際、本件各土地の用途につき、原告は同土地をモーターボートの置場に使用し、建造物を建築するとしても、せいぜいその管理小屋を建築するにすぎないものであるとの話は一切出なかつた。また、被告から、本件各土地が国立公園の特別地域に指定された区域内にあるとか、あるいは、文化財保護法による名勝に指定された地域内に所在するものであるとかの説明も一切なかつた。右同日には、原告は、未だ買受の意思が決まらず、後日再び被告と話合いをすることにして帰京した。
4 原告は、同月一九日、再び被告の来訪を受け、本件各土地の売買交渉の話合いをし、その結果、直ちに売買契約を締結するまでには至らなかつたものの、買受の意向をほぼ固め、同年一二月に更に被告と話合いをすることにし、売買契約締結の際には代金の一部に充てる約定で、金一〇万円を被告に手交した。ところが数日後、原告は、被告から、同年一一月中に取引をしたいとの要望を受けたため、同月二八日に本件各土地の売買取引をすることにした。
5 かくして、原告は、同月二八日、再び現地に行き、下田駅前にある佐々木司法書士事務所において被告と最終的に話合つた結果、本件各土地を代金四七七万五〇〇〇円で買受けることとなり、被告とその旨の売買契約を締結し、その場で右代金の支払を了したが(右売買の成立及び代金支払の事実は当事者間に争いがない。)、ついで本件各土地の境界の確認や、たまたま適当な別荘地の売付物件を求めて同行した同僚の塩野某のための別荘地の現場見分の必要があつた関係上、再び、被告に先導されて本件各土地の現場に赴いたのち、被告と別れて帰京したが、同日も、被告から本件各土地が国立公園の特別地域の指定を受けた区域内に所在することや、文化財保護法による名勝の指定を受けているとの説明は一切なかつた。
なお、本件売買契約が締結されたことにより、原告のため、同月二九日付で、本件土地(一)、(二)については所有権移転登記がされたが、本件土地(三)については、売買予約を登記原因とする所有権移転請求権仮登記がされたにとどまり、現在に至るまで所有権移転の本登記はされていない。
6 ところで、本件土地を含む前記中之瀬地区の一帯は、本件売買契約の締結された当時、自然公園法第一〇条、第一七条一項による富士箱根伊豆国立公園の特別地域に、文化財保護法第六九条第一項による名勝に、それぞれ指定されていた。
そして、自然公園法第一七条第三項によれば、国立公園の特別地域(特別保護地区を除く、以下同じ)内において工作物の新築、改築又は増築をするには環境庁長官の許可(ただし、同法第三八条、同法施行令第二五条の権限委任により、住宅、仮工作物及び高さ又は水平投影面積が一定値以下の工作物の新築等については都道府県知事の許可)を受けなければならないものとされており、その違反には罰則(自然公園法第五〇条第一号)がある。右特別地域内における工作物の新築も毎年、幾件かが許可されている実情であるが、右許可を与えるか否かは、環境庁長官又はその権限委任を受けた都道府県知事がその自由裁量により決定すべき事項である。
また、文化財保護法第八〇条第一項によれば、名勝の現状を変更し、又はその保存に影響を及ぼす行為をするには、文化庁長官の許可(ただし、同法第九九条第一項の権限委任により、現状変更等が重大でないものについては都道府県教育委員会の許可)を受けなければならないとされ、その違反には罰則(同法第一〇七条の三第一号)があるが、右許可を与えるか否かは文化庁長官又は都道府県教育委員会がその自由裁量により決定すべき事項である。静岡県教育委員会は、最近数か年の実績によると、名勝に指定されている本件各土地周辺一帯を含んだいわゆる伊豆西南海岸の区域内における同法第八〇条第一項の許可申請に対する許可件数は年間で数件ないし十数件にすぎない。
7 被告は、前記のとおり宅地建物取引業を営む者であり、宅地建物取引業法第三五条第一項、第三項によれば、宅地建物取引業者である被告は、同法所定の宅地の買主にあたる原告に対し、本件売買契約の成立するまでの間に、本件各土地に関し、取引主任者をして、少くとも、都市計画法、建築基準法その他の法令に基づく制限で政令で定めるものに関する事項の概要その他の一定の重要事項を、書面を交付して説明しなければならない義務があり、宅地建物取引業法施行令第三条第一八号、第二八号によると、自然公園法第一七条第三項及び文化財保護法第八〇条第一項の制限は、右にいう都市計画法、建築基準法その他の法令に基づく制限にあたるものと規定されているのにかかわらず、本件各土地について右制限の存在することを知悉しながら、これを原告に一切説明をせず、原告の要求があつた後、右の制限に関する事項等を記載した物件説明書を原告に交付したのは、本件売買契約が成立してから二か月余りほど経つた昭和四九年二月一二日に至つてからであつた。
8 そのため、原告は、前記のとおり本件各土地を別荘地にする目的で買受けたものであつたけれども、本件売買契約締結当時、本件各土地について前記の制限の存することを全く知らなかつた。なお、原告は、昭和四二年に宅地建物取引主任者試験に合格した経歴があるが、知事の登録を受けたことはなく、不動産取引の実務に関与したことはこれまで一度もない。
右事実によれば、被告は、本件売買契約を締結するにあたり、原告が本件各土地を購入する前示目的と本件各土地が前記の諸制限を受けている地域であることを知悉しており、右制限は、その解除が絶無ではないとしても通常人である買受希望者が買受の意思を決定するにあたつて、重大な影響を及ぼすものということができるから、このような場合、原告が右制限を知つていることが明らかでない以上、宅地建物取引業者である売主の被告としては、信義則上、買主たる原告に対し、右法律による制限のある事実を告知し、それを知らしめる義務があるというべきであるのに、ことさら、沈黙して右事実を告知せず、原告との間で本件売買契約の締結に及び、これにより、本件各土地上には右のような制限がない状態で別荘を建築することができるものとの誤信をとくこともなく、原告をして、本件各土地を買受ける旨の意思表示をさせたものであり、原告の本件買受の意思表示は、被告の詐欺によるものということができる。
三 請求原因3の事実は当事者間に争いがない。
したがつて、被告が原告より取得した本件売買代金はその受領当初から法律上の原因を欠くものというべきであり、被告は、原告に対し、同代金四七七万五〇〇〇円及びこれに対する同金員を受領した日の翌日である昭和四八年一一月二九日から民法所定年五分の割合による利息金を支払う義務がある。
四 よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を、それぞれ適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 丹野達 榎本克巳 増田芳子)
(別紙)物件目録<省略>